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カテゴリ「読書」の14件の投稿 Feed

2007年2月28日 (水)

女生徒/太宰治

友だちに薦められて読んでみました。短編というか、中編かな。
あどけない少女ではない、かといって大人の女でもない……“女生徒”。その“女生徒”の朝目覚めたときから、夜眠りに落ちるまでのモノローグ……のようなもの。小説というよりは、散文詩のようでもある。
“女生徒”独特の感受性に満ちている。どこか孤独で、大人びていたり幼稚だったり、純粋無垢のようであったりすでに汚れてしまっているようであったり……カミソリのような澄んだ視線にぶつかりそう。
太宰治自身の中に住んでいた感受性のようでもあり、太宰がいとおしむようにすくい取った“女生徒”の一面のようでもある。生活に忙しい濁世の中で、もろく崩れ去ってしまわないよう、かくまっておきたいようなみずみずしい輝きがある。
珠玉の小品とはこのようなものを言うのか。

なお、私は作品社から出ている『女生徒』で読んだ。この本では、太宰の作品と佐内正史氏の写真がコラボレーションのようになっていて、より楽しめた。
純文学度 ■■■■□
エンタメ度■□□□□
総合評価 ★★★★(4.0) 5点満点

『トカトントン』という短編も読んだ。太宰治の屈折した生い立ちが表れた作品(?)。 最後のところに聖書の言葉が引用されているのだが、言いたいことがちょっとよくわからなかった。

青空文庫でも読めます。
女生徒
トカトントン

2007年2月27日 (火)

ダレン・シャンー奇怪なサーカスー

409290301409_aa240_sclzzzzzzz_ ダレン・シャン著(ただし、ペンネームらしい)。ダレン・シャンシリーズ全12巻の第1巻。
ネットで面白いとの情報を聞きつけ、手に取ってみました。本来は児童書ですが、大人が読んでも面白いとの評判。ハリーポッターの既刊を全部読んだ人が、こちらのダレン・シャンシリーズの方を薦めています。(私はどちらも未読でしたが)

まぁ、期待がちょっと大きすぎたのか、それほどでもなかったです。大人が読むにはちょっと幼稚かなという感じ。ただし、中学生以下の子どもたちなら夢中に読める本でしょうねぇ。ジャンルとしては、冒険ファンタジーというところでしょうか。
第1巻は全シリーズの序の口なので、イマイチだったのかもしれません。4巻あたりから面白さが加速していくそうです。図書館でもかなり人気の高い本のようです。
2巻以降を読むかどうかは、現在のところ保留です。先に読むべき本が他にありそうなので。
純文学度 □□□□□
エンタメ度■■□□□
総合評価 ★(1.0) 5点満点

2007年2月19日 (月)

グレート・ギャツビー/F・S・フィッツジェラルド

412403504701_aa240_sclzzzzzzz_ 昨年11月に出版された村上春樹氏による新訳である。結構派手に宣伝されていたので、つい読んでみる気になった。この作品は、はるか昔、学生時代に野崎孝訳『華麗なるギャツビー』で一度読んでいる。しかし内容はほとんど忘れていたので、新鮮な気持ちで再読することができた。
本書の巻末には30ページにわたる村上氏のあとがきがあり、氏の本作に対する熱い思い入れが語られていて、こちらの方も面白く読めた。その中で次のような個所がある。
〈もし「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本を三冊あげろ」と言われたら、考えるまでもなく答えは決まっている。この『グレートギャツビー』と、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』と、レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』である。〉
さらに、
〈どうしても一冊だけにしろと言われたら、僕はやはり迷うことなく『グレートギャツビー』を選ぶ。〉
というのである。他ならぬ村上春樹氏のこの発言、読書好きの一人としては、看過できないものがある。レイモンド・チャンドラーについては知らなかったが、『カラマーゾフの兄弟』を差し置いてというのだから、村上氏にとっては相当に大きな意味を持つ作品なのだろう。(かくいう私、『カラマーゾフの兄弟』はまだ未読でして、いずれ読まねばというリストのトップクラスに入っています(;^_^A。新訳の完結を待っています)
さて、そんな村上氏による新訳『グレートギャツビー』、他の訳者のものとどれくらい違うのだろうか?本作の訳者は数人いるらしいが、例えば私が過去に読んだ野崎孝訳と比べると(部分的に読み比べただけだが)、そんなに大きな違いはないように思える。強いて言えば会話文のところは村上訳の方がしっくり読めるかなという程度。
例えば、本作のヒロイン、デイジーが会話の中で自分のことを「あたし」(野崎訳)と呼ぶか、「私」(村上訳)と呼ぶか、些細なことのようでも、かなりイメージが変わってくると思う。ハイソでセレブなイメージを大事にしたい私としては、「あたし」というのはちょっといただけない。

余談の方が長くなってしまったが、作品そのものについても少し書いておこう(歴史的背景なども重要な点であるが、長くなるので省略)。
この小説は、かつて愛し合っていたが今は人妻となっている昔の恋人デイジーを、再び自分のもとに取り戻そうとする男、ギャツビーの物語である。ギャツビーは出逢った当初から一途に愛情を捧げ続けるが、上流育ちのデイジーは時の流れの中で身分相応のトム・ブキャナンという男と結婚してしまう。しかしギャツビーは異常なまでの執念を燃やし、貧しい生活からニューヨークの華々しい社交界へとデビューするまでに成り上がる。そしてついにはトム・ブキャナンと正面から対決することになるのだが……。
男はロマンチスト、女はリアリストという、幾分かは真実を突いた結論に着地しそうであるが、それだけで終わってしまっては身も蓋もない。デイジーを取り戻そうとして成り上がるギャツビーの姿は、いわゆるアメリカン・ドリームを体現しているように見えるし、悲劇的な急展開で破滅へと突っ走るギャツビーの姿は、華やかな社交界の主としての姿と鮮やかな好対照を成し、まさに光と影、その結末は鮮烈な印象となって心に深く突き刺さる。
ギャツビーがいかにグレートであったか、我々は読後の余韻の中で思いをはせるべきであろう。私はこの村上訳『グレート・ギャツビー』をそう遠くない時期に再読すると思う。
純文学度 ■■■■□
エンタメ度■■■■□
総合評価 ★★★★☆(4.5) 5点満点

2007年2月12日 (月)

溺レる/川上弘美

416318580109_aa240_sclzzzzzzz_ 『蛇を踏む』で第115回芥川賞を受賞したのが1996年、それから4年後の2000年に出版されたのが本書である。伊藤整文学賞、女流文学賞を受賞している。翌年には『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞を受賞し、ベストセラーになっている。いわば絶好調の時期に書かれた作品といえるだろう。「溺レる」を始め、8編からなる短編集である。
さて、川上弘美を読むとき、まず意識せざるを得ないのがその独特の文体だろう。例えば三浦綾子を読んでいても文体を意識するということはなかったが、川上弘美の場合、筋の展開以前に独特の雰囲気を醸し出す文体が読者の注意を喚起する。この文体は彼女の作品の多くに共通するもののようで、『センセイの鞄』や『古道具 中野商店』などにおいても感じられたものである。
一言で言えば“飄々とした語り手のスタンス”とでも言おうか……。
もう少し具体的に言うと、まず読者の想像力を喚起し、刺激する具体的な名詞や比喩が多く使われる文章であり、それは滋味豊かで味わい深いものである。例えばよく出てくる場面として挙げたいのが、酒を飲みながら男と女がものを食べるシーンである。何をどのように食べるか、事細かに描写される。普段私たちがものを食べるとき以上に意識的である。結果として食べることの愉しみを読者が体験するかのようでさえある。
先ほど“飄々とした語り手のスタンス”と言ったのは、言い換えればどこか醒めた視点とも言えるし、激情や欲情をストレートに描かないということでもある。激情や欲情が描かれていないわけでは決してない。ただ一定の距離を保って描かれているのである。例えば「溺レる」の中にこんなセリフがある。

「せっかくのミチユキなんだから、シニタイとかなんとか言いながらカタくカタくイダキアったりアイヨクにオボレたりしてもいいんじゃないの」

普通ならもっとせっぱ詰まった状況であろう。カタカナ表記が生きている。
川上弘美が描く男と女の風景は、初恋の熱い情景ではない。もっと経験を積んだ、いわば「大人の恋愛小説」?である。その底辺にあるのは、男と女の間にある超えられない距離をわきまえた恋愛観ではなかろうか?男と女の近くて遠い関係、ある種の諦観とでも言おうか。ただ、そんな距離を了解しながらも、人生のささやかな幸せを随所に織り込んでいるのが、彼女の作品の味わい深さなのだろう。
純文学度 ■■■■□
エンタメ度■■□□□
総合評価 ★★★★(4.0) 5点満点

2007年1月31日 (水)

塩狩峠/三浦綾子

410116201809_aa240_sclzzzzzzz_ 再び三浦綾子であるが、『氷点』とともにこの『塩狩峠』もかなり有名な作品である。本書はキリスト教文学と言っていいだろう。明治時代に実際に起きた鉄道事故をモデルに書かれたものだ。非キリスト者である主人公・永野信夫が、成長とともに思索を重ね、やがてキリスト教に入信し、最後にキリスト者として生を全うする物語である。
まず最初に考えたいのは、『氷点』でもテーマになっていた「人間の原罪」についてである。原罪とは何か?私は『氷点』よりもこの『塩狩峠』においての方が、より深く追求されていたように思う。
法律を犯すことは明らかに罪であるが、法に触れなくても道義的な罪というものがあるのではないか?自分の心に何の後ろ暗いところなく、公明正大に生きようとする永野信夫は、世間において、また自分自身において、いろいろな矛盾に出くわす。その中で最も分かりやすく典型的なものとして、情欲の問題が出てくる。信夫は友人に宛てた手紙の中で次のように述べている。
「ぼくは性欲に関する限り、決して一生自由人となることができないような気がする。」
この問題は性欲を過度に抑圧しようとするキリスト教の弊害だとする向きもあるだろう。しかし性欲……というより情欲(と言った方がしっくりくるのだが)は、誠実であろうとする人間の限界を示す良い例だと私は思う。
情欲についてはひとつの例であり、三浦綾子は作品の中で人間心理に潜む利己的な限界を鋭く指摘している。氏は聖書の言葉「義人なし、一人だになし」を一度ならず引用している。私はこの作品によって「人間の原罪」とは何ぞやということを分かりやすく説かれたように思う。
さてもう一つ考えてみたい問題、それはこの作品の結末についてである。(ネタバレ注意!)
この物語のクライマックスで、永野信夫は自らの信仰に基づき、自分の命と引き替えに多数の人々の命を救う。実話を元にしているだけに余計に読者の心を揺さぶる感動的な物語だ。しかし、である。十分に感動的ではあったのだが、どこか、あるいは何かが引っかかる。私はこの物語が、キリスト者を主人公とするものでなかったらもっと感動的だったのではないかと思うのである。神様なんぞ信じないという者が自らの命を犠牲にしたのならばもっと驚嘆したに違いない。
純文学度 ■■■□□
エンタメ度■■■□□
総合評価 ★★★★(4.0) 5点満点

2007年1月27日 (土)

ミステリアス・セッティング/阿部和重

402250244401_aa240_sclzzzzzzz_v34104301_私にとって阿部和重の作品は、だいたい2種類に分けられる。ひとつは、何について書いてあるのかサッパリわからない、前衛的、実験的小説。もうひとつは、筋をちゃんと追っていけるわかりやすい小説だ。
前者の例を挙げると、『アメリカの夜』だとか『インディヴィジュアル・プロジェクション』、昨年読んだ『プラスティック・ソウル』などがそうだ。これらの本は、どういう点がよいのか、わかる人がいたら易しく解説して欲しいくらいだ。
後者の例はあまり数が多くない。『ニッポニアニッポン』と『シンセミア』、あと芥川賞受賞作の『グランド・フィナーレ』ぐらいか。『ニッポニアニッポン』と『シンセミア』の面白さは他の作品とは全く質の異なるもので、私はこの2作品だけで阿部和重のファンを自認しているようなものだ。ちなみに『グランド・フィナーレ』は『シンセミア』のおまけのようなもので、『シンセミア』あっての芥川賞受賞だと思っている。
前置きがだいぶ長くなってしまったが、では今回の『ミステリアス・セッティング』はどちらのタイプかというと、後者、つまり筋をちゃんと追っていけるわかりやすい作品だと思う。ただし、前者の作品群と全く無関係というわけではなく、文体に前者の作品群の影響が色濃く出ていると思う。
物語は、シオリという一人の少女についての話だ。非現実的な夢を追い、気が弱くて傷つきやすい、しかも人につけ込まれやすい少女。そんな彼女の中学時代から高校、専門学校までのいろいろなエピソードが延々語られる。あまりのダメっぷり、言い換えれば、むき身をさらしたような繊細さが描かれるのだが、この辺りは少し冗長でもあり、ダメっぷりにいらついたりもする。
物語がフィナーレへと動き出すのは、ページ数にして六割を超えた辺りから。シオリはひょんな行きがかりから、“ミステリアス・セッティング”を押しつけられるハメになる。(“ミステリアス・セッティング”が何であるかはネタバレになるので、ここでは書かない。言葉そのものの意味としては、宝石を固定する特殊な技術を指すもの。作品のタイトルでもあるこの言葉は、シオリの傷つきやすい繊細さ・純粋さを象徴しているようにも思われる。)
“ミステリアス・セッティング”を押しつけられたシオリは最初右往左往するばかりだが、最終的に自らの意志で運命を受け入れる……。

この物語は近未来を舞台としており、現代社会の様々な病巣を巧みに織り込んだ小説だと言えるだろう。また、作中人物がメインのストーリーを回想するという構造は、かの有名な『嵐が丘』の手法と似ており、社会に犯され病んだ精神と、不器用ではあるが無垢な心を持ったシオリとの対比を際だたせるのに一役買っている。
純文学度 ■■■□□
エンタメ度■■■□□
総合評価 ★★★☆(3.5) 5点満点

2007年1月24日 (水)

氷点/三浦綾子

Img_0805 ・作品について
1963年に朝日新聞社が募集した懸賞小説の入選作。賞金は一千万円で、当時としては莫大な金額だった。大ベストセラーになり、1966年には映画化された。また、40年以上にわたり、何度もテレビドラマ化されている。最近では、2006年11月にテレビ朝日系列で放送された。
・あらすじ
辻口病院の院長である啓造の妻、夏枝が、青年医師村井の思慕の言葉に耳を傾けている間に、三歳になったばかりの娘ルリ子が殺害されてしまう。辻口啓造は、夏枝への屈折した憎しみと「汝の敵を愛せよ」という教えへの挑戦とで、殺人犯の娘を養女に迎える。事情を知らない夏枝は養女陽子に暖かく接し、陽子も明るく素直な少女に育っていくのだが……。
・感想
懸賞小説の入選作にしてベストセラーだけあって、良くできた小説だと思う。読み始めるとすぐに事件が起き、最初から小説世界に引き込まれ、その後も次々と読者をあきさせない展開が続く。会話文が多く平易な文章なので、どんどん読んでいける小説であった。
読んでいて常に気になっていたのは、この小説は、純文学なのか、エンターテインメント小説なのかという点だ。読んでいる最中は、まずエンタメ小説であることは間違いないなと感じていた。それくらい面白く読めたのだ。
しかし、それでは、純文学的要素は何もないのかというと、そうでもなさそうだった。辻口啓造や夏枝の醜いまでのエゴイズムが描かれている。読んでいるとそのあまりの自分勝手さに嫌悪を催すほどなのだが、ひとたび我が身を振り返ってみると、自分の中にも彼らとさほど変わらないエゴイスティックな所があることに気付く。
解説によると、この作品のテーマは、「人間の原罪」についてだそうである。辻口に養女として迎えられた陽子は、何の汚れもない、善意の固まりのような少女として描かれているが、その陽子でさえ原罪とは無関係でないことをこの作品は訴えているそうだ。
しかし、「人間の原罪」とは何かとか、すべての人間に原罪があるとして、それではどう生きるべきかとかについては、あまり深く追求されていなかったように思う。結果として、この小説は、純文学というよりは、エンタメ小説としての比重の方が大きかったのではないかと思った。ただし、それは、2007年の現在だからそう言えるのであって、四十数年前の当時にあっては、十分に純文学的作品だったのかもしれない。
純文学度 ■■□□□
エンタメ度■■■■□
総合評価 ★★★★ (4.0) 5点満点

2007年1月12日 (金)

ワシントンハイツの旋風/山本一力

406211571909_aa240_sclzzzzzzz_この本は、☆ワタシの水辺☆のaandaさんから紹介していただいた本です。正直、私はそれまで山本一力という人を知りませんでした。ネットで調べてみると、多くの時代小説の著作があり、時代小説作家といってよいようです。しかし、そんな中で、この『ワシントンハイツの旋風』は、山本氏の半自伝的小説であり、氏の作品の中では、異色の作品といえるのかもしれません。
本書の著者紹介によると、山本氏は、昭和23年、高知市生まれ。中学3年の春に上京し、渋谷区富ヶ谷の読売新聞専売所の住み込み配達員に。当時ワシントンハイツと呼ばれた米軍家族住宅街が新聞配達の担当区域だった。都立世田谷工業高校電子科を卒業後、10年間、近畿日本ツーリストに勤務。その後、さまざまな職業を経て、平成9年、作家としてデビューし、今日に至る、とあります。
『ワシントンハイツの旋風』は、そんな氏の中学時代から近畿日本ツーリスト時代までをモデルにしたもので、主人公、一元謙吾(かずもとけんご)の波瀾に満ちた人生の物語です。時代背景は、1960年から70年代までの、いわゆる高度経済成長期で、団塊の世代の代表のようなバイタリティー溢れる主人公が、仕事に、女に、ストレートにぶつかっていく様子が描かれています。
主人公の謙吾は、新聞配達員時代にワシントンハイツで覚えた英語力を武器に、海外旅行のツアーコンダクターとして活躍します。また一方では、高校以来のドハデな女性遍歴も平行して描かれていきます。
この本は、なにも小難しいことを考える必要がなく、私は、主人公の仕事に対しても、女に対してもハンパでない、いわばハチャメチャな生き方を痛快な思いで楽しむことができました。特に主人公の女性に対する態度は、何ら臆するところのない、自らの欲望に率直なものであり、読んでいて、そのモテモテぶりがうらやましいくらいでした。これがもし山本氏の実体験に基づくものだとしたら、山本氏は相当な女たらしですね。
話は余談になりますが、今は亡き私の父が、ツアーコンダクターをしていたことがあり、子どもの頃はどんな仕事をしているのか、漠然としか知りませんでしたが、この本を読んで、父もちょうどこの主人公のような業界に生きていたんだなあということがわかり、その姿が少しダブって見えました。
純文学度 □□□□□
エンタメ度■■■■□
総合評価 ★★★(3.0) 5点満点

2007年1月 9日 (火)

わたしを離さないで/カズオ・イシグロ

415208719601_aa240_sclzzzzzzz_v53926130_今年1冊目の本です。去年からネットでけっこう評判になっていたので、ぜひ読んでみたいと思っていました。この本、著者名が日本人なので、日本の小説かと思っていたんですが、違いました。本を手にしてみて初めて知ったんですが、著者は日本生まれのイギリス人。子どもの頃、親の仕事の関係で、イギリスに渡り、その後イギリスに帰化したそうです。そんなわけで、この小説も英語で書かれたものを日本語に翻訳されたものです。
さて、前評判についてもちょっと書いておきたいと思います。著者のイシグロ氏は、デビュー以来、いくつかの賞を受賞しており、なかでも『日の名残り』という作品では、イギリス文学の最高峰と言われているブッカー賞に輝いているのだそうです。さらに本書『わたしを離さないで』は、《タイム》誌において、文学史上のオールタイムベスト100に、刊行したその年に選ばれたというのです。これだけでも興味をそそられますが、その他にもネット上では、高い評価の声が数多く、大きな期待を持ってこの本を手にしたのでした。
さて本題ですが、結論から先に言いますと、その大きな期待は、見事に裏切られたと言っていいでしょう。というのも、私が勝手に作品のイメージを大きく膨らませていて、実際の作品がそれとは全く違うものだったからです。
ここから先は、ネタバレになるので、未読の方は注意!
まず、読み始めからして、調子が狂ったと言いますか、当てが外れてしまいました。本来なら冒頭からぐいぐい小説世界に引き込んでくれるのだろうと思っていたのですが、全く逆なのです。読み始めて数十ページがたってもいっこうに話が進みません。物語の核心がなんなのか、ほとんど触れられることがなく、周辺部をぐるぐる回っている感じ。ただヒントらしきものとして“提供”という言葉が何の説明もなく使われます。“提供”っていったい何のことよ、とイライラしながらちょうど100ページあたりまで付き合わされます。
このあたり、読む人によって感じ方が違ったのかもしれませんね。人によっては、ミステリー小説のように謎を追う感じで引き込まれていったのかもしれません。しかし、私の場合は話の展開のあまりの遅さにイライラさせられるばかりでした。
ちょうど100ページあたりで、ようやく“臓器提供”という言葉が出てきて、物語が一歩進みます。その後は先入観念を捨て、奇妙な物語として最後まで読み進むことができました。しかし、最後の最後、読み終わるまで、……いや、読み終わっても、この小説がいったい何についての話なのか、漠然として半信半疑、正直確信が持てませんでした。
こういう時こそ巻末の解説を頼りにしたいものですが、柴田元幸さん、あえて具体的な内容については触れないとおっしゃる。そんなぁ、と泣き付きたいところですが、ズバリ、この小説を簡潔明瞭にまとめてくれたものがあるので、そちらを引用することにしよう。この小説は、
“臓器提供のために集団で育てられたクローン人間たちが、その宿命的な半生と苦悩を自ら語っていく”
物語だったのです。(引用:tokyocatさんの“東京猫の散歩と昼寝”より)
私はこれを読んでようやく安心しました。やっぱりそういうことでいいのかという感じです。解説の柴田氏の言葉を借りれば、これは「細部まで抑制が利いた」小説ということですが、その超SF的内容とあまりに静かな語り口とのギャップには違和感を感じずにはいられませんでした。確かに今までに読んだことのない種類の小説という意味では、優れた作品なのかもしれませんが、かといって、読後に大きな感動があったかというと、私の場合、無かったと言わざるを得ません。読みが浅いと言われればそれまでですが、クローン人間とか臓器提供といった主題が深く追求されているわけでもなく、かといってもっと普遍的なテーマが前面に押し出されているわけでもないのです。どうしても未消化な印象がぬぐえないのは仕方がないのではないでしょうか?
以上、私の個人的な感想を正直に書いてみましたが、世間では賞賛する声の方が圧倒的に多いわけで、私のように感じた者は少数派なのでしょう。ブッカー賞を受賞したという『日の名残り』についても、もし本書と同様に「細部まで抑制が利いた」小説なのだとしたら、私はあまり期待しない方がいいのかもしれませんね。
純文学度 ■■■■□
エンタメ度■□□□□
総合評価 ★★   (2.0) 5点満点

2007年1月 1日 (月)

風が強く吹いている/三浦しをん

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みなさん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。新年最初のエントリーは、昨年末、ギリギリで読み終えた本の感想です。
三浦しをんさん、初めて読みました。きっかけは“WEB本の雑誌”で高評価を受けていたことです。“WEB本の雑誌”は読みたい本がない時など、参考にしています。その高評価、期待を裏切りませんでしたね。グイグイ読めました。
話は、ほとんどが陸上の素人、しかもぎりぎり10人で箱根駅伝に挑戦するという、現実ではちょっとあり得ない設定のスポーツ青春物。そのあり得ない設定を受け入れさえすれば、後はそれこそ走るように読める面白さ。まるで自分が箱根駅伝に挑戦していくかのようでもあり、あるいは、チームの監督となって10人の選手を率いていくかのようでもある。読んでいるうちに、いつの間にか自分も走り出している、そんな気分なのだ。
この本、約500ページの長編なのだが、どこで切っても書いてあるのは走ることばかり……と言っても過言ではない。それなのに全然だれない、いや、だからこそだれないと言った方がいいのか。著者は執筆にあたり、取材や資料収集にかなり時間をかけたようで、1年で書き下ろす予定が、足かけ6年かかったそうだ。それだけに走るということに関する描写や記述にリアリティーがあるのだろう。
実は私は一時期市民マラソンに凝ったことがあり、走ることの楽しさ、面白さ、苦しさを多少なりとも知っているので、なおいっそうこの作品を楽しめた。しかし、駅伝やマラソンに興味のない方もご心配する事なかれ。この本を読んでいくうちにきっと自分も走ってみたくなるほど、陸上競技の面白さが書かれていますから。
最後にこの本のカバー装画についてですが、浮世絵風のタッチで、選手たちと箱根駅伝の風景が緻密に描かれていて、とても味わい深いです。