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2007年2月の8件の投稿

2007年2月28日 (水)

女生徒/太宰治

友だちに薦められて読んでみました。短編というか、中編かな。
あどけない少女ではない、かといって大人の女でもない……“女生徒”。その“女生徒”の朝目覚めたときから、夜眠りに落ちるまでのモノローグ……のようなもの。小説というよりは、散文詩のようでもある。
“女生徒”独特の感受性に満ちている。どこか孤独で、大人びていたり幼稚だったり、純粋無垢のようであったりすでに汚れてしまっているようであったり……カミソリのような澄んだ視線にぶつかりそう。
太宰治自身の中に住んでいた感受性のようでもあり、太宰がいとおしむようにすくい取った“女生徒”の一面のようでもある。生活に忙しい濁世の中で、もろく崩れ去ってしまわないよう、かくまっておきたいようなみずみずしい輝きがある。
珠玉の小品とはこのようなものを言うのか。

なお、私は作品社から出ている『女生徒』で読んだ。この本では、太宰の作品と佐内正史氏の写真がコラボレーションのようになっていて、より楽しめた。
純文学度 ■■■■□
エンタメ度■□□□□
総合評価 ★★★★(4.0) 5点満点

『トカトントン』という短編も読んだ。太宰治の屈折した生い立ちが表れた作品(?)。 最後のところに聖書の言葉が引用されているのだが、言いたいことがちょっとよくわからなかった。

青空文庫でも読めます。
女生徒
トカトントン

2007年2月27日 (火)

ダレン・シャンー奇怪なサーカスー

409290301409_aa240_sclzzzzzzz_ ダレン・シャン著(ただし、ペンネームらしい)。ダレン・シャンシリーズ全12巻の第1巻。
ネットで面白いとの情報を聞きつけ、手に取ってみました。本来は児童書ですが、大人が読んでも面白いとの評判。ハリーポッターの既刊を全部読んだ人が、こちらのダレン・シャンシリーズの方を薦めています。(私はどちらも未読でしたが)

まぁ、期待がちょっと大きすぎたのか、それほどでもなかったです。大人が読むにはちょっと幼稚かなという感じ。ただし、中学生以下の子どもたちなら夢中に読める本でしょうねぇ。ジャンルとしては、冒険ファンタジーというところでしょうか。
第1巻は全シリーズの序の口なので、イマイチだったのかもしれません。4巻あたりから面白さが加速していくそうです。図書館でもかなり人気の高い本のようです。
2巻以降を読むかどうかは、現在のところ保留です。先に読むべき本が他にありそうなので。
純文学度 □□□□□
エンタメ度■■□□□
総合評価 ★(1.0) 5点満点

2007年2月22日 (木)

福井市中央公園の梅

Img_1331福井市中央公園の梅が見頃と聞き、出かけてみた。紅梅は満開、というか少し遅かったぐらい。(バックは福井市市役所本館)
Img_1356 そんな中、白梅が一本だけあったが、こちらはまだつぼみ固しという感じだった。紅白同時満開というわけにはいかないようだ。
私が撮影中、やはり写真を撮ってる人がちらほら。

2007年2月19日 (月)

グレート・ギャツビー/F・S・フィッツジェラルド

412403504701_aa240_sclzzzzzzz_ 昨年11月に出版された村上春樹氏による新訳である。結構派手に宣伝されていたので、つい読んでみる気になった。この作品は、はるか昔、学生時代に野崎孝訳『華麗なるギャツビー』で一度読んでいる。しかし内容はほとんど忘れていたので、新鮮な気持ちで再読することができた。
本書の巻末には30ページにわたる村上氏のあとがきがあり、氏の本作に対する熱い思い入れが語られていて、こちらの方も面白く読めた。その中で次のような個所がある。
〈もし「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本を三冊あげろ」と言われたら、考えるまでもなく答えは決まっている。この『グレートギャツビー』と、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』と、レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』である。〉
さらに、
〈どうしても一冊だけにしろと言われたら、僕はやはり迷うことなく『グレートギャツビー』を選ぶ。〉
というのである。他ならぬ村上春樹氏のこの発言、読書好きの一人としては、看過できないものがある。レイモンド・チャンドラーについては知らなかったが、『カラマーゾフの兄弟』を差し置いてというのだから、村上氏にとっては相当に大きな意味を持つ作品なのだろう。(かくいう私、『カラマーゾフの兄弟』はまだ未読でして、いずれ読まねばというリストのトップクラスに入っています(;^_^A。新訳の完結を待っています)
さて、そんな村上氏による新訳『グレートギャツビー』、他の訳者のものとどれくらい違うのだろうか?本作の訳者は数人いるらしいが、例えば私が過去に読んだ野崎孝訳と比べると(部分的に読み比べただけだが)、そんなに大きな違いはないように思える。強いて言えば会話文のところは村上訳の方がしっくり読めるかなという程度。
例えば、本作のヒロイン、デイジーが会話の中で自分のことを「あたし」(野崎訳)と呼ぶか、「私」(村上訳)と呼ぶか、些細なことのようでも、かなりイメージが変わってくると思う。ハイソでセレブなイメージを大事にしたい私としては、「あたし」というのはちょっといただけない。

余談の方が長くなってしまったが、作品そのものについても少し書いておこう(歴史的背景なども重要な点であるが、長くなるので省略)。
この小説は、かつて愛し合っていたが今は人妻となっている昔の恋人デイジーを、再び自分のもとに取り戻そうとする男、ギャツビーの物語である。ギャツビーは出逢った当初から一途に愛情を捧げ続けるが、上流育ちのデイジーは時の流れの中で身分相応のトム・ブキャナンという男と結婚してしまう。しかしギャツビーは異常なまでの執念を燃やし、貧しい生活からニューヨークの華々しい社交界へとデビューするまでに成り上がる。そしてついにはトム・ブキャナンと正面から対決することになるのだが……。
男はロマンチスト、女はリアリストという、幾分かは真実を突いた結論に着地しそうであるが、それだけで終わってしまっては身も蓋もない。デイジーを取り戻そうとして成り上がるギャツビーの姿は、いわゆるアメリカン・ドリームを体現しているように見えるし、悲劇的な急展開で破滅へと突っ走るギャツビーの姿は、華やかな社交界の主としての姿と鮮やかな好対照を成し、まさに光と影、その結末は鮮烈な印象となって心に深く突き刺さる。
ギャツビーがいかにグレートであったか、我々は読後の余韻の中で思いをはせるべきであろう。私はこの村上訳『グレート・ギャツビー』をそう遠くない時期に再読すると思う。
純文学度 ■■■■□
エンタメ度■■■■□
総合評価 ★★★★☆(4.5) 5点満点

2007年2月12日 (月)

溺レる/川上弘美

416318580109_aa240_sclzzzzzzz_ 『蛇を踏む』で第115回芥川賞を受賞したのが1996年、それから4年後の2000年に出版されたのが本書である。伊藤整文学賞、女流文学賞を受賞している。翌年には『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞を受賞し、ベストセラーになっている。いわば絶好調の時期に書かれた作品といえるだろう。「溺レる」を始め、8編からなる短編集である。
さて、川上弘美を読むとき、まず意識せざるを得ないのがその独特の文体だろう。例えば三浦綾子を読んでいても文体を意識するということはなかったが、川上弘美の場合、筋の展開以前に独特の雰囲気を醸し出す文体が読者の注意を喚起する。この文体は彼女の作品の多くに共通するもののようで、『センセイの鞄』や『古道具 中野商店』などにおいても感じられたものである。
一言で言えば“飄々とした語り手のスタンス”とでも言おうか……。
もう少し具体的に言うと、まず読者の想像力を喚起し、刺激する具体的な名詞や比喩が多く使われる文章であり、それは滋味豊かで味わい深いものである。例えばよく出てくる場面として挙げたいのが、酒を飲みながら男と女がものを食べるシーンである。何をどのように食べるか、事細かに描写される。普段私たちがものを食べるとき以上に意識的である。結果として食べることの愉しみを読者が体験するかのようでさえある。
先ほど“飄々とした語り手のスタンス”と言ったのは、言い換えればどこか醒めた視点とも言えるし、激情や欲情をストレートに描かないということでもある。激情や欲情が描かれていないわけでは決してない。ただ一定の距離を保って描かれているのである。例えば「溺レる」の中にこんなセリフがある。

「せっかくのミチユキなんだから、シニタイとかなんとか言いながらカタくカタくイダキアったりアイヨクにオボレたりしてもいいんじゃないの」

普通ならもっとせっぱ詰まった状況であろう。カタカナ表記が生きている。
川上弘美が描く男と女の風景は、初恋の熱い情景ではない。もっと経験を積んだ、いわば「大人の恋愛小説」?である。その底辺にあるのは、男と女の間にある超えられない距離をわきまえた恋愛観ではなかろうか?男と女の近くて遠い関係、ある種の諦観とでも言おうか。ただ、そんな距離を了解しながらも、人生のささやかな幸せを随所に織り込んでいるのが、彼女の作品の味わい深さなのだろう。
純文学度 ■■■■□
エンタメ度■■□□□
総合評価 ★★★★(4.0) 5点満点

永平寺ライトアップ

2月9日(金)、夕方より永平寺へ行ってきた。“冬の燈籠まつり”〜雪の永平寺ライトアップ〜という催しがあったからだ。残念ながら“雪の〜”というわけにはいかなかったが、心配された小雨も現地に着く頃には止んでくれ、ゆっくり撮影することができた。カメラマンもかなり来ており、またテレビクルーもあちこちとポジションを変えて撮影していた。

永平寺の門を入ると両側に竹灯籠の明かりが続き、日中に訪れるときとはまたひと味違った雰囲気が参拝客を誘ってくれた。
1081 山門へと続く石段。

1060


1068この山門は、永平寺で最も古い建造物だそうだ。 今一歩、全体が入らない。広角ズームが欲しいところ。

1077 あちこち場所を変えて撮影してきたが、絵になるショットは少なかった。自分の想像力が貧弱だから、ありがちなショットばかりになってしまうのだろうナ。スナップ写真的に撮りたい場面もあったけれど、いかんせん手持ちでは無理な条件だった。限られた被写体をどういう切り口で撮影するか、上手な人の写真を見てみたいものだ。

2007年2月 5日 (月)

富士山撮影旅行 07/02/04

Img_0987二日目の最初は、4:00AM起床、山中湖・平野浜早朝撮影。例年だと湖畔氷結もあるそうだが、今年は暖かく凍っていなかった。早々にポジションを確保し、まずは夜明け前、月下の富士山。明るすぎて月らしくない。
Img_994 左後方からの日の出だが、この日も雲一つ無く、思うように朝焼けになってくれなかった。

Img_1015 日が昇りきった頃、突然白鳥のお出まし。これはよい点景になると構図に腐心するが、白鳥さん、動きやまない。動物相手は難しい。

Img_1021 山中湖が終わると昨日に続き、再び精進湖へ。逆光で雲もなく、どう工夫して良いかわからない。

Img_1038 Img_1045 その後、また本栖湖へ。1984年発行の旧五千円札の裏、逆さ富士が湖面に映っているのが本栖湖だそうである。


Img_1049 予定では二日目これで終了のはずだったのですが、帰り道、あまりにすっきりと富士山が見えるところがあり、近くの道の駅に立ち寄り撮影ということに。

その後、東海道経由で帰途に着き、福井には19:50頃到着。かなりハードなスケジュールだったが、心配していた体力もなんとか持ちこたえ、富士山を満喫できた旅に満足感いっぱいで帰宅した次第である。

富士山撮影旅行 07/02/03

カメラ屋さんが募集していた「新春のたっぷり富士山撮影」ツアーに参加してきた。このようなツアーに参加するのは初めてである。金曜の夜からバスで出発し、車中泊、民宿一泊、の実質二日間の旅行だったが、早朝撮影や、夜の花火撮影などもあり、かなりの強行スケジュールだった。お天気にも恵まれ、二日間とも雲一つ無い快晴だったが、写真撮影的には、雲が全然無かったので、ちょっと変化に乏しい富士山だった。しかし、それを言うのは贅沢というものだろう。
参加された方たちは、ベテランの方ばかりで、基本的なことから専門的なことまで、いろいろアドバイスをいただき、また、すばらしい経験をお持ちの方々との出会いも貴重なものであった。

Img_0845 1日目、最初は本栖湖からの早朝撮影。現地到着が4:45AM頃。すでに多くのカメラマンたちがベストポジションを確保しようと三脚を立てて待っていた。日の出は7:00AM頃だが、5:00AM頃から自分の場所で待機。防寒対策はしていったものの足下からじわじわと冷えてくる。まずはマニュアルで夜明け前の星空を撮影。ISO800で絞り5.6、30秒。ピントは無限遠なのになぜか甘い。画質も荒い。
Dpp07d70205093405 ついに太陽が顔を出し始めたが、雲が全然無いためか、期待していたほどあまり赤く焼けない。

Img_0876 日の出の次に出かけたのが、精進湖。富士の手前に小さな山がある、いわゆる「子抱き富士」だそうである。

Img_903 次に向かったのが、新富岳百景選定地の忍野(おしの)八海。露出をアンダーにしないと白い富士が飛んでしまう。


Img_927夕暮れの田貫湖。湖面に映る逆さ富士。なかなか赤く染まってくれない。逆さ富士も湖面がやや揺れている。

Img_0965 長かった1日目、最後は、河口湖の冬花火、「湖上の舞」。時間にして30分。露出をいろいろ試行錯誤しているうちに終了となってしまった(ToT)。左の写真、ブレているのが明らかだが、花火が自分の中ではまだマシだったもの。ISO400、絞り8の8秒。ベテランの方の中には、ISO1600でバックに富士山が入った花火を撮影された方もおられ、う〜むとうならされた。
Img_0980 1日目のおまけ。満月から一日遅れのお月さん。ISO100、5.6、1/400で手持ち撮影。トリミング。