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2007年1月の10件の投稿

2007年1月31日 (水)

塩狩峠/三浦綾子

410116201809_aa240_sclzzzzzzz_ 再び三浦綾子であるが、『氷点』とともにこの『塩狩峠』もかなり有名な作品である。本書はキリスト教文学と言っていいだろう。明治時代に実際に起きた鉄道事故をモデルに書かれたものだ。非キリスト者である主人公・永野信夫が、成長とともに思索を重ね、やがてキリスト教に入信し、最後にキリスト者として生を全うする物語である。
まず最初に考えたいのは、『氷点』でもテーマになっていた「人間の原罪」についてである。原罪とは何か?私は『氷点』よりもこの『塩狩峠』においての方が、より深く追求されていたように思う。
法律を犯すことは明らかに罪であるが、法に触れなくても道義的な罪というものがあるのではないか?自分の心に何の後ろ暗いところなく、公明正大に生きようとする永野信夫は、世間において、また自分自身において、いろいろな矛盾に出くわす。その中で最も分かりやすく典型的なものとして、情欲の問題が出てくる。信夫は友人に宛てた手紙の中で次のように述べている。
「ぼくは性欲に関する限り、決して一生自由人となることができないような気がする。」
この問題は性欲を過度に抑圧しようとするキリスト教の弊害だとする向きもあるだろう。しかし性欲……というより情欲(と言った方がしっくりくるのだが)は、誠実であろうとする人間の限界を示す良い例だと私は思う。
情欲についてはひとつの例であり、三浦綾子は作品の中で人間心理に潜む利己的な限界を鋭く指摘している。氏は聖書の言葉「義人なし、一人だになし」を一度ならず引用している。私はこの作品によって「人間の原罪」とは何ぞやということを分かりやすく説かれたように思う。
さてもう一つ考えてみたい問題、それはこの作品の結末についてである。(ネタバレ注意!)
この物語のクライマックスで、永野信夫は自らの信仰に基づき、自分の命と引き替えに多数の人々の命を救う。実話を元にしているだけに余計に読者の心を揺さぶる感動的な物語だ。しかし、である。十分に感動的ではあったのだが、どこか、あるいは何かが引っかかる。私はこの物語が、キリスト者を主人公とするものでなかったらもっと感動的だったのではないかと思うのである。神様なんぞ信じないという者が自らの命を犠牲にしたのならばもっと驚嘆したに違いない。
純文学度 ■■■□□
エンタメ度■■■□□
総合評価 ★★★★(4.0) 5点満点

2007年1月30日 (火)

越前水仙

今日は天気予報通り、快晴の一日。越前水仙を撮るにはたぶんラストチャンスだろうと思い、さっそく出かけた。
Img_0810_1 前回のモデル撮影会は「越前岬水仙ランド」だったが、今日は、それより少し北側にある「越前水仙の里公園」辺りで撮影した。やはり満開の時期は過ぎていたようで、花はかなり少なめだった。

Img_0813_1Img_0824_1小高い山に群生している水仙を撮りたかったので、かなりの急斜面を上っていったのだが、日頃運動していない身体にはキツイキツイ。足下が悪く、長靴を履いていったのは正解だった。

Img_0822 バックに海を入れて撮りたかったのだが、水仙の花の向きがほとんど海側。これだけはどうしようもない。

ホワイトバランスについて気がついたこと。今日のような快晴の日には、太陽光に設定するとオートよりも空の青さが強調されるようだ。ナチュラルな感じにするならオート、PLフィルターをかけたような鮮やかな感じが好みなら太陽光にするといいみたいだ。
また、ピクチャースタイルによっても変わる。スタンダードから風景に設定するとやはり色味がやや鮮やかめになるようだ。

Img_0834帰り道、真っ青な空に白い月、そして遠くの山並みがとてもきれいだった。

Img_0840

2007年1月27日 (土)

ミステリアス・セッティング/阿部和重

402250244401_aa240_sclzzzzzzz_v34104301_私にとって阿部和重の作品は、だいたい2種類に分けられる。ひとつは、何について書いてあるのかサッパリわからない、前衛的、実験的小説。もうひとつは、筋をちゃんと追っていけるわかりやすい小説だ。
前者の例を挙げると、『アメリカの夜』だとか『インディヴィジュアル・プロジェクション』、昨年読んだ『プラスティック・ソウル』などがそうだ。これらの本は、どういう点がよいのか、わかる人がいたら易しく解説して欲しいくらいだ。
後者の例はあまり数が多くない。『ニッポニアニッポン』と『シンセミア』、あと芥川賞受賞作の『グランド・フィナーレ』ぐらいか。『ニッポニアニッポン』と『シンセミア』の面白さは他の作品とは全く質の異なるもので、私はこの2作品だけで阿部和重のファンを自認しているようなものだ。ちなみに『グランド・フィナーレ』は『シンセミア』のおまけのようなもので、『シンセミア』あっての芥川賞受賞だと思っている。
前置きがだいぶ長くなってしまったが、では今回の『ミステリアス・セッティング』はどちらのタイプかというと、後者、つまり筋をちゃんと追っていけるわかりやすい作品だと思う。ただし、前者の作品群と全く無関係というわけではなく、文体に前者の作品群の影響が色濃く出ていると思う。
物語は、シオリという一人の少女についての話だ。非現実的な夢を追い、気が弱くて傷つきやすい、しかも人につけ込まれやすい少女。そんな彼女の中学時代から高校、専門学校までのいろいろなエピソードが延々語られる。あまりのダメっぷり、言い換えれば、むき身をさらしたような繊細さが描かれるのだが、この辺りは少し冗長でもあり、ダメっぷりにいらついたりもする。
物語がフィナーレへと動き出すのは、ページ数にして六割を超えた辺りから。シオリはひょんな行きがかりから、“ミステリアス・セッティング”を押しつけられるハメになる。(“ミステリアス・セッティング”が何であるかはネタバレになるので、ここでは書かない。言葉そのものの意味としては、宝石を固定する特殊な技術を指すもの。作品のタイトルでもあるこの言葉は、シオリの傷つきやすい繊細さ・純粋さを象徴しているようにも思われる。)
“ミステリアス・セッティング”を押しつけられたシオリは最初右往左往するばかりだが、最終的に自らの意志で運命を受け入れる……。

この物語は近未来を舞台としており、現代社会の様々な病巣を巧みに織り込んだ小説だと言えるだろう。また、作中人物がメインのストーリーを回想するという構造は、かの有名な『嵐が丘』の手法と似ており、社会に犯され病んだ精神と、不器用ではあるが無垢な心を持ったシオリとの対比を際だたせるのに一役買っている。
純文学度 ■■■□□
エンタメ度■■■□□
総合評価 ★★★☆(3.5) 5点満点

2007年1月24日 (水)

氷点/三浦綾子

Img_0805 ・作品について
1963年に朝日新聞社が募集した懸賞小説の入選作。賞金は一千万円で、当時としては莫大な金額だった。大ベストセラーになり、1966年には映画化された。また、40年以上にわたり、何度もテレビドラマ化されている。最近では、2006年11月にテレビ朝日系列で放送された。
・あらすじ
辻口病院の院長である啓造の妻、夏枝が、青年医師村井の思慕の言葉に耳を傾けている間に、三歳になったばかりの娘ルリ子が殺害されてしまう。辻口啓造は、夏枝への屈折した憎しみと「汝の敵を愛せよ」という教えへの挑戦とで、殺人犯の娘を養女に迎える。事情を知らない夏枝は養女陽子に暖かく接し、陽子も明るく素直な少女に育っていくのだが……。
・感想
懸賞小説の入選作にしてベストセラーだけあって、良くできた小説だと思う。読み始めるとすぐに事件が起き、最初から小説世界に引き込まれ、その後も次々と読者をあきさせない展開が続く。会話文が多く平易な文章なので、どんどん読んでいける小説であった。
読んでいて常に気になっていたのは、この小説は、純文学なのか、エンターテインメント小説なのかという点だ。読んでいる最中は、まずエンタメ小説であることは間違いないなと感じていた。それくらい面白く読めたのだ。
しかし、それでは、純文学的要素は何もないのかというと、そうでもなさそうだった。辻口啓造や夏枝の醜いまでのエゴイズムが描かれている。読んでいるとそのあまりの自分勝手さに嫌悪を催すほどなのだが、ひとたび我が身を振り返ってみると、自分の中にも彼らとさほど変わらないエゴイスティックな所があることに気付く。
解説によると、この作品のテーマは、「人間の原罪」についてだそうである。辻口に養女として迎えられた陽子は、何の汚れもない、善意の固まりのような少女として描かれているが、その陽子でさえ原罪とは無関係でないことをこの作品は訴えているそうだ。
しかし、「人間の原罪」とは何かとか、すべての人間に原罪があるとして、それではどう生きるべきかとかについては、あまり深く追求されていなかったように思う。結果として、この小説は、純文学というよりは、エンタメ小説としての比重の方が大きかったのではないかと思った。ただし、それは、2007年の現在だからそう言えるのであって、四十数年前の当時にあっては、十分に純文学的作品だったのかもしれない。
純文学度 ■■□□□
エンタメ度■■■■□
総合評価 ★★★★ (4.0) 5点満点

2007年1月16日 (火)

越前海岸

先日のモデル撮影会の時に撮ったものです。冬の越前海岸らしさを出すには、露出をアンダーぎみにした方がいいみたいです。それとホワイトバランスもオートにしておくより、くもりならくもりに設定した方が発色がいいみたいです。
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2007年1月14日 (日)

水仙娘モデル撮影会

今日(13日)は、水仙娘の写真コンテストモデル撮影会に行ってきた。越前町の「越前岬水仙ランド」で行われた。モデルの撮影会に参加するのは、初めての体験だ。車で向かう途中は雨が降っていたのだが、到着して撮影会が始まる頃にはちょうど雨もやみ、空が少し明るくなってきたので、ホントにラッキーだった。
Img_0706 私が到着する頃には、続々とカメラマンたちがやってきて、みんなすごいカメラや装備。初めての私は萎縮してしまいそうな雰囲気で、撮影会が始まる前から圧倒されてしまった。三重ナンバーや、富山ナンバー、神戸ナンバーの車まであった。
ざっと見たところ、6、70人はいただろう。あまりの多さに、いったいこんなんで撮影なんてできるんだろうかと驚き半分、不安半分。
Img_0744 それでも、一旦撮影が始まると果敢に好位置をキープして、無我夢中でシャッターを切り続けた(^○^)。しかし、なんせ初めての体験。構図を決めるにしても完璧を求めている余裕がない。ましてや絞りとか露出補正など、ゆっくり考えているヒマもない。とにかく、できるだけ多くシャッターを切るので精一杯だった。
Img_0679 結果として、家に帰り、パソコンで確認してみると、どれもこれも、完璧という一枚がない。どこかミソが付く写真ばかりだ。例えば、左の写真、3人の目線を全部同時にもらうのは至難の業だ。なにせ、どさくさに紛れて写真を撮っているようなものなのだ。あちこちからポーズを付けたり、目線を要求する声が飛ぶ。おまけにバックにはカメラマンが写っているし。。。立ち位置ももう少し右から撮らなきゃダメだし。。。(>_<)
Img_0703 Img_0755 それでも、モデルの水仙娘たちはさすがというか、レンズを向けられることにけっこう慣れているのだろう。嫌な顔ひとつせず、ごく自然な笑顔を作ってくれる。これが普通の人だとなかなかそうはいかないもんだ。普通の人だと、その人らしい表情を引き出すのにまず苦労する。

Img_0724 左の写真などは、いい感じかなと自分では思うのだが、いかんせん、肝心の水仙の位置が下がり気味で、左端の方に切れてしまっている。ファインダーをのぞいている時は、そこまで気がつく余裕がないのだ。

今回はいい経験をさせてもらったと思うが、反省すべきこともいろいろあった。自分の立ち位置と構図は冷静に決めなければいけないし、目線をもらったり、ポーズを指示する時は、チャンスと思った時にきっぱり要求しなければいけないと思った。また、露出補正は曇り空で暗いような場合でも、時にはアンダー気味の方がいい場合もあるようだ。
Img_0748_1 それから、今回は18ー55mmの標準ズーム一本で撮影したが、55-200mmの望遠も必要だと痛感した。あと、脚立を持ってきている人を見て、なるほど用意がいいなと思った。
Img_0756

Img_0779 ←ちょっと絞りすぎてしまった。

2007年1月12日 (金)

ワシントンハイツの旋風/山本一力

406211571909_aa240_sclzzzzzzz_この本は、☆ワタシの水辺☆のaandaさんから紹介していただいた本です。正直、私はそれまで山本一力という人を知りませんでした。ネットで調べてみると、多くの時代小説の著作があり、時代小説作家といってよいようです。しかし、そんな中で、この『ワシントンハイツの旋風』は、山本氏の半自伝的小説であり、氏の作品の中では、異色の作品といえるのかもしれません。
本書の著者紹介によると、山本氏は、昭和23年、高知市生まれ。中学3年の春に上京し、渋谷区富ヶ谷の読売新聞専売所の住み込み配達員に。当時ワシントンハイツと呼ばれた米軍家族住宅街が新聞配達の担当区域だった。都立世田谷工業高校電子科を卒業後、10年間、近畿日本ツーリストに勤務。その後、さまざまな職業を経て、平成9年、作家としてデビューし、今日に至る、とあります。
『ワシントンハイツの旋風』は、そんな氏の中学時代から近畿日本ツーリスト時代までをモデルにしたもので、主人公、一元謙吾(かずもとけんご)の波瀾に満ちた人生の物語です。時代背景は、1960年から70年代までの、いわゆる高度経済成長期で、団塊の世代の代表のようなバイタリティー溢れる主人公が、仕事に、女に、ストレートにぶつかっていく様子が描かれています。
主人公の謙吾は、新聞配達員時代にワシントンハイツで覚えた英語力を武器に、海外旅行のツアーコンダクターとして活躍します。また一方では、高校以来のドハデな女性遍歴も平行して描かれていきます。
この本は、なにも小難しいことを考える必要がなく、私は、主人公の仕事に対しても、女に対してもハンパでない、いわばハチャメチャな生き方を痛快な思いで楽しむことができました。特に主人公の女性に対する態度は、何ら臆するところのない、自らの欲望に率直なものであり、読んでいて、そのモテモテぶりがうらやましいくらいでした。これがもし山本氏の実体験に基づくものだとしたら、山本氏は相当な女たらしですね。
話は余談になりますが、今は亡き私の父が、ツアーコンダクターをしていたことがあり、子どもの頃はどんな仕事をしているのか、漠然としか知りませんでしたが、この本を読んで、父もちょうどこの主人公のような業界に生きていたんだなあということがわかり、その姿が少しダブって見えました。
純文学度 □□□□□
エンタメ度■■■■□
総合評価 ★★★(3.0) 5点満点

2007年1月 9日 (火)

わたしを離さないで/カズオ・イシグロ

415208719601_aa240_sclzzzzzzz_v53926130_今年1冊目の本です。去年からネットでけっこう評判になっていたので、ぜひ読んでみたいと思っていました。この本、著者名が日本人なので、日本の小説かと思っていたんですが、違いました。本を手にしてみて初めて知ったんですが、著者は日本生まれのイギリス人。子どもの頃、親の仕事の関係で、イギリスに渡り、その後イギリスに帰化したそうです。そんなわけで、この小説も英語で書かれたものを日本語に翻訳されたものです。
さて、前評判についてもちょっと書いておきたいと思います。著者のイシグロ氏は、デビュー以来、いくつかの賞を受賞しており、なかでも『日の名残り』という作品では、イギリス文学の最高峰と言われているブッカー賞に輝いているのだそうです。さらに本書『わたしを離さないで』は、《タイム》誌において、文学史上のオールタイムベスト100に、刊行したその年に選ばれたというのです。これだけでも興味をそそられますが、その他にもネット上では、高い評価の声が数多く、大きな期待を持ってこの本を手にしたのでした。
さて本題ですが、結論から先に言いますと、その大きな期待は、見事に裏切られたと言っていいでしょう。というのも、私が勝手に作品のイメージを大きく膨らませていて、実際の作品がそれとは全く違うものだったからです。
ここから先は、ネタバレになるので、未読の方は注意!
まず、読み始めからして、調子が狂ったと言いますか、当てが外れてしまいました。本来なら冒頭からぐいぐい小説世界に引き込んでくれるのだろうと思っていたのですが、全く逆なのです。読み始めて数十ページがたってもいっこうに話が進みません。物語の核心がなんなのか、ほとんど触れられることがなく、周辺部をぐるぐる回っている感じ。ただヒントらしきものとして“提供”という言葉が何の説明もなく使われます。“提供”っていったい何のことよ、とイライラしながらちょうど100ページあたりまで付き合わされます。
このあたり、読む人によって感じ方が違ったのかもしれませんね。人によっては、ミステリー小説のように謎を追う感じで引き込まれていったのかもしれません。しかし、私の場合は話の展開のあまりの遅さにイライラさせられるばかりでした。
ちょうど100ページあたりで、ようやく“臓器提供”という言葉が出てきて、物語が一歩進みます。その後は先入観念を捨て、奇妙な物語として最後まで読み進むことができました。しかし、最後の最後、読み終わるまで、……いや、読み終わっても、この小説がいったい何についての話なのか、漠然として半信半疑、正直確信が持てませんでした。
こういう時こそ巻末の解説を頼りにしたいものですが、柴田元幸さん、あえて具体的な内容については触れないとおっしゃる。そんなぁ、と泣き付きたいところですが、ズバリ、この小説を簡潔明瞭にまとめてくれたものがあるので、そちらを引用することにしよう。この小説は、
“臓器提供のために集団で育てられたクローン人間たちが、その宿命的な半生と苦悩を自ら語っていく”
物語だったのです。(引用:tokyocatさんの“東京猫の散歩と昼寝”より)
私はこれを読んでようやく安心しました。やっぱりそういうことでいいのかという感じです。解説の柴田氏の言葉を借りれば、これは「細部まで抑制が利いた」小説ということですが、その超SF的内容とあまりに静かな語り口とのギャップには違和感を感じずにはいられませんでした。確かに今までに読んだことのない種類の小説という意味では、優れた作品なのかもしれませんが、かといって、読後に大きな感動があったかというと、私の場合、無かったと言わざるを得ません。読みが浅いと言われればそれまでですが、クローン人間とか臓器提供といった主題が深く追求されているわけでもなく、かといってもっと普遍的なテーマが前面に押し出されているわけでもないのです。どうしても未消化な印象がぬぐえないのは仕方がないのではないでしょうか?
以上、私の個人的な感想を正直に書いてみましたが、世間では賞賛する声の方が圧倒的に多いわけで、私のように感じた者は少数派なのでしょう。ブッカー賞を受賞したという『日の名残り』についても、もし本書と同様に「細部まで抑制が利いた」小説なのだとしたら、私はあまり期待しない方がいいのかもしれませんね。
純文学度 ■■■■□
エンタメ度■□□□□
総合評価 ★★   (2.0) 5点満点

2007年1月 6日 (土)

九頭竜川と奥越の山々

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5日、国道8号線、福井大橋より奥越の山々を望む。

2007年1月 1日 (月)

風が強く吹いている/三浦しをん

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みなさん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。新年最初のエントリーは、昨年末、ギリギリで読み終えた本の感想です。
三浦しをんさん、初めて読みました。きっかけは“WEB本の雑誌”で高評価を受けていたことです。“WEB本の雑誌”は読みたい本がない時など、参考にしています。その高評価、期待を裏切りませんでしたね。グイグイ読めました。
話は、ほとんどが陸上の素人、しかもぎりぎり10人で箱根駅伝に挑戦するという、現実ではちょっとあり得ない設定のスポーツ青春物。そのあり得ない設定を受け入れさえすれば、後はそれこそ走るように読める面白さ。まるで自分が箱根駅伝に挑戦していくかのようでもあり、あるいは、チームの監督となって10人の選手を率いていくかのようでもある。読んでいるうちに、いつの間にか自分も走り出している、そんな気分なのだ。
この本、約500ページの長編なのだが、どこで切っても書いてあるのは走ることばかり……と言っても過言ではない。それなのに全然だれない、いや、だからこそだれないと言った方がいいのか。著者は執筆にあたり、取材や資料収集にかなり時間をかけたようで、1年で書き下ろす予定が、足かけ6年かかったそうだ。それだけに走るということに関する描写や記述にリアリティーがあるのだろう。
実は私は一時期市民マラソンに凝ったことがあり、走ることの楽しさ、面白さ、苦しさを多少なりとも知っているので、なおいっそうこの作品を楽しめた。しかし、駅伝やマラソンに興味のない方もご心配する事なかれ。この本を読んでいくうちにきっと自分も走ってみたくなるほど、陸上競技の面白さが書かれていますから。
最後にこの本のカバー装画についてですが、浮世絵風のタッチで、選手たちと箱根駅伝の風景が緻密に描かれていて、とても味わい深いです。